昨年の10月1日(土)と2日(日)の2日間、「北斎祭り2011」を開催しました。
今回は、灯りのデザインを藤田さん(亀沢四丁目在住)に作成していただき、工夫を凝らしました。新たに約1,200個の灯りを町会の皆様にご協力いただいて作成し、北斎通りに飾りました。
また、弘前市役所からお借りした“ねぷた”と子どもたちがつくった“金魚ねぷた”に灯りをともして、東京青森県人会の方にご協力いただき、北斎通りをパレードしました。1日目の夜のパレードには、子どもから大人まで、多くの方にご参加いただき、「ヤーヤ、ドー」と掛け声をかけながら、北斎通りを運行しました。
2日目は、緑町公園で模擬店を開催しました。それぞれのお店が自慢の品物を販売しました。多くの方にご来場いただき、買い物を楽しまれたり、食事しながら催し物を見学されたりと、楽しいお祭りになりました。
最後に、紙面を借りまして、亀沢の町会の皆様をはじめ、本所警察署・弘前市役所等、「北斎通り2011」にご協力いただきました皆様に、心から感謝とお礼を申し上げます。
大学生を中心とした日本建築学会の共催による企画。こどもたちが、ビニルパイプでトラスを組立て、楽しみながら立体空間に挑戦しました。
北斎は、ねぷたの絵の指導も行ったといわれています。今年も、東京青森県人会の方の協力で、かわいい金魚ねぷたがたくさんできました。灯りをつけて、ねぷた運行にも加わりました。
灯りのデザインを統一したことにより、北斎通りの一丁目から四丁目まで、連続した演出となり、一体感のあるフェスティバルとなりました
「ヤーヤ、ドー」と大勢のこどもたちが掛け声をかけながら、初めて北斎通りをねぷたが、運行しました。
今年は、12のお店が模擬店に参加しました。
また、「かっぽれ」、「スチールバンド」、「ハワイアン」が披露され、活気のあるお祭りになりました。亀沢めぐりのコーナーでは、亀沢の魅力的な場所の募集も行いました。
今年3月3日(土)に、シンポジウムを開催しました。
墨田区内では、一定の規模を超えるマンション等の建替えを行うときには、「地域団体(町会や地区まちづくり認定団体等)」に、説明を行うことが義務付けられています。
亀沢地区では、現在、まちづくりに貢献していただけるように、事業者等との話し合いが行われていません。また、マンション建設時に町会に加入をお願いしていますが、スムーズには加入いただけていません。
これらの問題について、具体的に取組むためにシンポジウムを開催しました。
前半では、向島百花園の佐原滋元さんをお迎えして、一寺言問地区の取組みについて、お話しいただきました。
後半は、「亀沢地区ではどのように考えたらよいのか。」について、たたき台を説明し、意見交換を行いました。
今後、早々に検討を進めていくために、亀沢連合町会と北斎通りまちづくりの会が合同して、準備会を立ち上げる予定です。
一寺言問地区では、向島百花園に隣接するマンションの建替えをきっかけに、現在では地区全体のマンション等の建替え計画について協議を行っています。当日は、20近くの事例についてお話いただきました。
<協議のきっかけ>
向島百花園の東側に、8階建てのマンションの計画がありました。向島百花園でお月見ができなくなるなど、問題があり、地域で署名を集め、東京都に提出しました。東京都はマンション敷地を買取り、向島百花園の敷地を広げることになりました。
東京都に、建物の高さのお願いをしましたが、住宅供給が優先ということで話し合いに応じてもらえませんでした。
この後のマンション計画の協議に影響を及ぼしました。
倉庫の壁面が大きく圧迫感が感じられることから、墨堤通り沿道の立地を活かした壁面になるようにデザインしてもらいました。
建替えの条件として、法的には路地を一部分広げるだけでよかったのですが、形状がクランクしていて危険であるので、地域の安全のために、オーナーにお願いして、拡幅できました。
盆踊りのときに、クレーム等が出ないように居住者に説明してもらうことを協議しました。
亀沢一丁目~四丁目の町会長とまちづくりの会会長のヒアリングをもとに、景観検討部会小委員会で検討した亀沢地区の取組みについて、たたき台の説明がありました。
こどもの体と比べて見て下さい。大きなキャンバスに、思い切り全員で描きます。
墨田みどり保育園では、5歳になると、4月から絵画クラスが始まります。これは、子どもの個性や能力をのばす取組みの1つで、オリジナルクラスといいます。(そのほか、英語、音楽、すもうじんく、元気棒のクラスがあります。)
絵画クラスを担当する専門家の荒野先生の発案で北斎の絵を描いています。スケッチの書き方、色のつけ方や色の混ぜ方などを学んだあとに、北斎の絵に取り組みます。
大きなキャンバス(約1.5m×約1.8m)に、5歳のこどもたち全員で北斎の絵を描きます。鉛筆で下絵を書き、アクリル絵の具とクレヨンで、色付けをします。
下の写真の絵を色づけをしている時のお話です。輪郭を描く担当になった女の子が、絵のポイントとなる部分の輪郭を描くときに、緊張と責任感から、涙が出てきたんだそうです。その時、みんなの応援があり、涙をこぼしながらも一生懸命、波の輪郭を描いたんだそうです。子どもたち全員の心のこもった傑作です。北斎も、さぞ、びっくりしていることでしょう。
北斎の絵は、現在3作品が完成していて、4作品目に取り組んでいるところです。ぜひ、地域のみなまさに、お披露目できる機会があればいいなと思っています。
墨田みどり保育園
住所:墨田区亀沢3-7-11
電話:03-3624-4508
園長:市川麻美
去る5月14日(金)に、平成22年度のまちづくりの会が、亀沢三丁目町会会館で開催されました。
昨年度の「活動報告」、「会計報告」、「住まい・まちづくり担い手事業によるワークショップ」の報告がありました。
今年度の活動として、『北斎祭り2010』を10月3日(日)に開催することが決まりました。
今年度も、「灯りのフェスティバル」、「金魚ねぷた」、「フラダンス」、「バトントワリング」などを行います。
今年は、北斎が1760年(宝暦10年)に生まれて、250年の記念の年になります。
昨年同様に、にぎやかで、活発なお祭りに盛り上げたいと考えています。
『北斎祭り2010』の時に緑町公園で行われる屋台は、今年から、まちのお店などに呼びかけを行い、希望者に参加してもらうようになりました。
どんな屋台がでるのか、楽しみにしてください。
詳細は、次号でお知らせします。
今年は、北斎おじいさんが生まれて、250年になります。
北斎おじいさんは、割下水(北斎通り)周辺で生まれたといわれています。どのあたりで生まれたのか、調べてみました。
「北斎こぼれ話」をご覧下さい。
今年度も、「住まい・まちづくり担い手事業」に応募し、活動支援が決まりました。
亀沢地区の景観まちづくりを考えるために、具体的な活動を行う予定です。ご協力、よろしくお願いいたします。
景観検討部会で、平成21年度に、「ものづくり」ついて、メリヤスと鉄鋼の関係者の方とワークショップを行いました。この時の内容をもとに、ご紹介します。
昭和38年頃の北斎通りの写真です。小さく四角に見えるのは、自動車(トラックなど)です。
二重・三重と駐車していることがわかりますか?
荷物の積み下ろしで、混雑していた様子がわかりますね。また、鉄鋼業の会社が、北斎通りの道路を舗装しなおしたそうです。
○明治になって、廃藩置県で失業した武士が、取り組むのがきっかけでした。
○旧津軽藩士が中心となり、本所・松坂町に「勧工社」を設立。
○旧松本藩士が中心になり、両国矢ノ倉に「共同社」を設立
○労働力が得やすかったこと
○江戸時代の大名の下屋敷など工場に転換できる建物があったこと
○川に囲まれているので、原料や製品の運搬に便利なこと(竪川、大横川等)
○消費地までの距離が短かい
亀沢地区では、『○○莫大小』と書かれたお店をよく見かけるよね。
『莫大小』とは、「メリヤス」のことです。
メリヤスは、伸び縮みがあって、身体に良く合う、「大小に莫(よ)く合う」というところから、漢字では『莫大小』と書きます。
大正12年(1923年)の関東大震災により、東京のメリヤス企業約1,600社のうち7割が罹災しました。
そのとき、ミシンなどの機械を焼失から防ぐために、割下水(北斎通り)に投げ込んで、逃げたそうです。それにより、水浸しにはなりますが、焼けただれるよりは、修復がしやすいという考えからだったそうです。
国際ファッションセンターは、東京の東部地域のファッション関連産業を支援する目的で、平成12年(2000年)4月に開業しました。地元の企業も出資し、第三セクターの株式会社として、旧・墨田区役所跡地に設立されました。
昨年(2009年)10月に、合同展示会が「ZEROからの出発」というテーマで開催され、亀沢の会社も出展しました。墨田発の春夏物商品の展 示が行なわれたそうです。
今年(2010年)4月に、山崎直子さんが搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」の船内服として、採用された『オリジナルポロシャツ』は、亀沢の会社(丸和繊維工業)で作られました。
この『オリジナルポロシャツ』は、あおもり藍産業協同組合と弘前大学との産官学連携により、「藍染」と「動体裁断」が研究され、宇宙で着ること、無重力でも働きやすいことなど、工夫された製品だそうです。
○本所の周辺には、ボルト・ナット、金庫屋、鍛冶屋など中小の工場があったこと
○隅田川から、直接船で竪川に入り、小名木川から千葉への連絡水路だった
本所での始まりは、明治7年の内田幾助の本所吉田町の店。
通称「釘幾」と呼ばれていました。
明治42年の中村藤太郎の本所緑町三丁目の店。
通称「中藤」と呼ばれていました。
本所地区に多かったのは、古鉄屋でした。専門的には、以下のように、「古鉄」「新鉄」と呼ばれているそうです。
○古鉄(ふるてつ)屋とは
船の解体品などひと山いくらで買ってきて選別して、品種別に分けて売る
○新鉄(あらてつ)屋とは
輸入鉄や国産鉄の新品を専門に扱う
東京大空襲で焼け野原になった後、割下水での復興が徐々に始まりました。昭和23年(1948年)に「鐵交会」(現在の本所鐵交会)が発足しました。その後、統制制度がなくなり、朝鮮戦争の影響で、「金へんブーム」になります。
昭和28年(1953年)頃から、鐵交会館の建設の話が始まります。
会館の規模や土地費と建設費の資金調達など、様々の課題の解決に非常に苦労されたそうです。
そして、昭和36年(1961年)に会館が緑町4丁目に竣工し、東京の鐵鋼関係の団体の本拠地が、本所にできたことは画期的で、本所の団結が認められた出来事だったそうです。
昭和35年(1960年)ごろから鐵鋼関係の会社のための新天地をつくろうという「鐵鋼団地づくり」の機運がもりあがり、昭和38年(1963年) から、検討が始まったそうです。
「本所鐵交会」が中心となって、『浦安鐵鋼団地のプロジェクト』が行われ、全国屈指の鐵鋼流通団地がつくりあげられました。
昭和43年(1988年)に造成が完成し、浦安鐵鋼団地の第1号の会社は、亀沢の会社だったそうです。亀沢地区の鉄鋼関係の会社のうち約50社が 浦安に移転したそうです。
現在のマンションは、移転後の跡地に作られたものが多くあります。
シャーリングとは、鋼板をせん断するための機械です。
明治当初は、鋼板を切断する作業は、タガネを使って切断するなどで、大変だったそうです。民間では、明治42年(1909年)に、大阪でシャーリングの工場ができ、亀沢では、大正8年(1919年)に、「江東シャーリング合資会社」が、はじめて取り入れたそうです。その後、北斎通り(割下水)に、増えていったそうです。
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、二期会会員、昭和音楽大学非常勤講師レパートリーは、オペラアリアから日本歌曲、ミュージカルナンバー、ポップスと幅広く舞台コンサートで活躍。
近年は作詞作曲も手掛け、さらに西郷隆盛の島妻であった「愛加那」の遠縁にあたることから彼女の生涯を歌と語りで綴った「歌物語 愛加那」を製作、各地で披露し評判を呼ぶ。2008年11月、奄美観光大使に任命される。
萩原かおりオフィシャルサイト:http://www.hagiwarakaori.com/
2010 年 10/2(土)~10/3(日)
北斎通り沿道・緑町公園
【金魚ねぷた製作体験】
(1)午後2時~ (2)午後4時~
※参加人数:各回15名ずつ
※参加には事前予約が必要です。
【パネル展示】
◎まちづくりの会の活動
◎北斎について
【灯りのフェスティバル】
※雨の場合は3日に順延
午後6時~8時
◎亀沢1丁目:北斎通り沿道
◎緑町公園 :金魚ねぷた
◎亀沢3丁目:日進公園など
◎亀沢4丁目:大横川親水公園
10/3(日)(場所:緑町公園)
【模擬店・パネル展示】
午前10時~午後3時
【ねぶたばやし】
正午~
【式典】
午後1時~
来賓祝辞:墨田区長 山﨑昇
【ハワイアンダンス】
午後1時~
(ハワイ・アロハ・アカデミー)
【バトントワリング】
午後2時~
(錦糸中学 TEAM Swatt)
※スケジュールなどは予告なく変更になることがあります。あらかじめご了承ください。
1956年1月生まれ。工業高校電子科卒業後、調理師学校へ。
俳優 金子信雄経営レストラン『牡丹亭』入社。小沢チーフの元で5年半修行のち、イタリアミラノ日本総領事公邸で2年間シェフを務める。
帰国後、声楽家 五十嵐喜芳経営の『リストランテマリーエ』で5年半勤務。
のちYKKの『リストランテ・チエロ・エ・マーレ』をオープンし、5年間運営後に現在の『アル・セッティモ・チエロ』の支配人に就任。今年で18年目となります。
ご近隣の皆様方の支えでここまでやって来れました。今後も20周年、30周年を迎えられます様、従業員一同精進して参ります。今までのご来店を感謝するとともに、これからも末永くご愛顧いただけます様、宜しくお願い申し上げます。
アル・セッティモ・チエロ
墨田区亀沢3-22-1 YKK R&Dセンター墨田倶楽部7F
TEL:03-3829-6027
「私、『クラヤミ推進委員会』を立ち上げようと思って」
「???」
伺うと、「この北斎通りがおちついた雰囲気の大人のデートスポットになったらいいナーと思って」と、素敵なプランを提案していただきました。
山口智子さんは北斎にとても興味をお持ちで、今回ぜひ『すみだ北斎美術館』及び『北斎通り』の現在の取り組みを直接見たい! との強いご希望により、会合が実現いたしました。
「北斎さんが生存していた時代のように、自然と調和を保ち、ほんのり灯りにともされている街並にして欲しい。いろいろな意味で今の日本は明るすぎると思う。今より少し明るさを抑えた光の方が、むしろ大事な事が見えたり、風情を感じられると思う。そして、割下水を復活させ、水の存在が私たちの心にもたらす癒しを再度生活に取り入れたい。夏には足を入れてちょっとした涼やかさを求められるような、そんな北斎通りにして欲しいんです」
と山口さん。また同行の佐藤さんから、
「オーストリアで有名なモーツアルト通りのように、北斎を愛する世界中の人たちから『北斎通り沿いに居住したい!』と注目されるような通りづくりを目指してほしい」
と、世界に羽ばたいているお二人なだけにロマンとスケールの大きな、夢膨らむお話をいただきました。たいへん有意義なひとときでした。
夢の実現に向けて、少しづつ取り組んでいきたいと思います。
山口智子さんはとてもスタイル抜群で、自然体のお美しい方でした。写真はごめんなさいとのことで残念ながら掲載できませんが、是非またいらしていただきたいですね(文責 小林京子)
2010.7.31(土)
北斎通りまちづくりの会 東あられ事務所にて
去る1月29日(土)に、「『すみだ北斎美術館』の設計者『妹島和世さん』を迎えて」を開催しました。会場の両国中学校の格技場には、約300人の方が参加されました。区外の方の参加もあり、遠方は、茨城県からお越しいただくなど、大変盛況な催しとなりました。
当日は、吉兼鋓光亀沢一丁目町会長のごあいさつのあと、第一部で妹島和世さんから、美術館の取組みとして、金沢21世紀美術館とニューヨークの美術館の説明があり、『すみだ北斎美術館』のご説明をうかがいました。
第二部では、まちづくりの会から小林俊介さん(まちづくりの会会長)と、岸成行さん(景観検討部会副部会長)が加わり、妹島和世さんとの3人で、座談会的な雰囲気で、すみだ北斎美術館と亀沢との関係などについて、意見交換ができ、地元感覚に分かり易いお話をうかがうことができました。
『すみだ北斎美術館』については、緑町公園に塀がないことや北斎通りにガードレールがないことなどを「おおらかな」利用の特徴としてとらえ、これを計画に活かしたいこと。模型を使っての説明の中で、周囲の建物のスケールにあわせて、大きなかたまりにならないような工夫や周辺環境に配慮した考え方などのコメントが印象に残りました。今から、開館が楽しみになりました。
また、3人の座談会では、妹島和世さんの事務所が倉庫を利用されて設計作業をされていることから、亀沢の町工場やものづくりに通じるところがあることや、北斎に対する妹島さんのイメージなどが語られました。
妹島和世さんの設計に対する熱い取組みや飾らない人となりが、皆様に伝わったことと思います。今後も、妹島和世さんを囲んだ催しを検討していきたいというお話が、小林会長からお話がありました
当日は、両国中学校の先生と生徒の皆さんにイスの設置など、会場設営にご協力いただきました。
1月28日(金)~30日(月)の3日間、北斎通り沿道の方にご協力いただき、右図の区域で、景観を考えるモデル実験を実施しました。北斎が「冨嶽三十六景」で使用した『ベルリアン・ブルー』に近い色をテーマカラーとしました。
<モデル実験の目的>
今回のモデル実験(1)~(3)の結果、まちの景観づくりに、非常に効果があることが分かりました。今後も景観まちづくりの実践につながるように、活動を行いたいと考えています。
北斎通りの歩道にある街路灯に、「不織布でつくったフラッグ」を、車道側と歩道側の両方に取り付けました。
(街路灯32本)
(フラッグの大きさ幅48cm、長さ120cm)
北斎通りの沿道建物に、「不織布でつくったのれん」を取り付けました。
(設置箇所23棟)
(のれんの大きさ幅65cm、長さ300cm)
北斎通りの歩道に、北斎の絵柄の袋に、乾電池と豆電球による足元灯を設置しました。(約500個)
平成22年10月2日・3日の2日間に渡り、生誕250年記念北斎まつり2010が開催されました。午後から雨が降るという天気予報にも関わらず両日とも晴天に恵まれ、2日の金魚ねぶた製作体験・灯フェスティバル、3日の模擬店・パネル展示・ハワイアンダンスやバトントワリング・劇団MMCによるパフォーマンスなど盛りだくさんのプログラムで多くのかたがたにお集まりいただき賑やかに盛り上がりました。
特に今回は、『すみだ北斎美術館』の設計者に妹島和世さんが決定し建設に向け本格的に始動したこともあり、北斎祭りを地域が一体となるまちづくり計画のための地元商店はじめ住民参加型祭典として盛り上げていきたいと思っておりましたところ、ボランティアの方々のご協力もあり大盛況のうちに終了することができました。
すべて地域の皆様のおかげと感謝いたしております。2006年から数えて5回目の開催ということで年々地域の皆様への認知度も少しずつでも上がってきているように思います。
また現在建設中である東京スカイツリーを中心として活性化していくであろう墨田区の1地域として我が亀沢地区も北斎祭りも負けずに共に発展していくよう頑張りましょう。
今後とも宜しくおねがいいたします。
緑町公園近く、開店して5年目のイタリア料理店で、亀沢の憩いの店となっています。
こだわりの野菜を使った“旬”の料理と30種類のワインを味わえます。
バーニャカウダと野菜の前菜は、是非ご賞味下さい。
マスターの茂木啓輔さんから一言
「野菜を中心としたボリュームたっぷりの料理を提供しています。季節ごとの定番メニューもご用意しています。是非、“旬”を味わいにいらしてください。」
shigeruki
住 所:亀沢2-15-8 石川ビル1階
電 話:03-3623-0303
ホームページ:http://www.shigeruki.jp/
10月上旬に、”北斎祭り2009″を開催しました。好天に恵まれ、子どもたちの参加も多く、ご協力いただきました地元の皆様には、感謝申 し上げます。
また、景観検討部会を立上げ、景観に関して、『土地の記憶(歴史)・ものづくり(生活)・観光』という視点から、景観ワークショップを開催しました。来年度は、この成果を踏まえて、地元の皆様とともに、亀沢地区の景観について、具体的に取り組みたいと考えています。
北斎通りまちづくりの会 会長 小林 俊介
広報部会長の清水誠です。
私は生まれ、育ち、51年間生活してきた亀沢地区への思い入れはかなり強いものがあると自負しています。
この地域がより一層発展していくために、私も微力ながらお手伝いができないかと発足当時より、「北斎通りまちづくりの会」に参加させていただいております。そして、今回広報部のそれも部会長という、重責を担う役に選ばれたのですが、就任したからには頑張りたいと思います。
広報としては何か大きなことでアピールすることも必要だと思いますが、同時に小さな身近なことを地道に続けていくために努力することも大事なことだと考えます。ひとりひとりの知恵と力は弱くてもみんなの力を合わせれば叶えられることもあると思います。
地域の発展は委員だけに任せておけばよいというものではなく、住民みんなの課題としてとらえていただけたらと思います。そのため亀 沢地区をアピールしていくための何かお気づきのことがありましたらぜひお聞かせ下さい。
墨田区に東京スカイツリーができつつある今、我が亀沢も同時に発展し、魅力のある地区になるために広報活動をしていきたいと思います。
今後とも宜しくお願いいたします。
景観検討部会の企画により、ワークショップを開催しました。「景観」を建物のデザインという面だけで考えるのではなく、このまちを形作ってきた『歴史や生活や文化や観光など』さまざまな面から「景観」をとらえるという考え方で企画しました。今年度のワークショップの内容をご紹介します。
※国土交通省の住まい・まちづくり担い手事業(長期優良住宅等推進環境整備事業)の補助を受けて開催しました
“亀沢地区のものづくりの時代”として、莫大小(メリヤス)と鉄鋼について、関係者の方に集まっていただきました。
莫大小(メリヤス)と鉄鋼が、亀沢に誕生した頃、発展した頃のことについて、お話をうかがい、貴重な資料も提供いただきました。
(写真提供 澁井康又)
すみだ郷土文化資料館の西村氏から、戦前・戦中の生活実態についての記録を絵画や地図や映像をもとに、うかがいました。出席者も当時の記憶をたどりながら、まちの様子や生活について、地図を見ながら話し合いました。
戦前の様子を伊藤製パンの映像で見ることが出来ました。
名所旧跡として、寺社、名店(和菓子)、旧居跡、工房ショップなどをリストアップしました。
観光資源を整理してルートづくりを行うための新たな発見もありました。
緑図書館の松島氏から、亀沢地区のある本所は、江戸時代の明暦大火後に開発されて、できあがったまちで、これが現代につながっていること。また、弘前藩津軽上屋敷があったことから、武士・町人・商人等が住みあった町で、現代の職人のものづくりの土台が出来上がったということを含めて
○古代から中世の頃
○江戸期、ゆかりのある人
○明治の工業化、ゆかりのある人
○割下水
以上についてのお話がありました。
今回は、「割下水」の話について特集します。
現在北斎通りと呼ばれている通りは、明暦大火後の本所開拓により、万治2年(1659)両国橋が完成したと同じ年に造られた通りで、割下水と呼ばれていました。本所の地は、もともと湿潤で洪水もありましたから、通りの中央に堀割をつくって道路を二分し水はけをよくしたので割下水といわれたのです。5つの割下水がありましたが、ただ割下水といえば、現在の北斎通りにあたる南割下水のことでした。江戸東京博物館がある辺りは幕府の御米蔵のあった所で、周りを堀で囲んでいました。南割下水はこの東側の堀から水を引き大横川まで8町(約870m)余あり、幅は9尺(約3m)あったといいます。割下水には八重桜の並木があり、柳も植えられていたといいます。魚も泳いでいました。割下水に架かる橋には大横川の方から久方橋、弥生橋九重橋、若葉橋、千歳橋、松花橋、青芽橋、葉沢橋というように美しい名が付けられていました。通りの両側には津軽候の上屋敷や旗本の屋敷が多くあり、戯作者、俳諧師、絵師などが往来し武家と町人の文化が入り交じった所でした。
享保4年(1719)、本所は町奉行の支配下になり、割下水の管理もその任となります。割下水は直接隅田川に通じてはいないので流れはゆるく、度々底をさらう必要があったようです。大横川の長崎橋辺りに浚渫の人足のための風呂小屋を建てた事や、浚った土で両側に土手を造ったとの記録もみられます。下水の修復も町奉行の管理の下で行われました。亀戸村の割下水引受人という役の者が実際に調査し工事の見積を出して、入札により業者を決めています。支払いは本所見廻の与力が町地代から払うよう町年寄りに命じていました。
割下水は明治の中頃までは江戸の様子をとどめ、小林清親の弟子井上安治が東京名所絵として描いています。(絵)工業化と洪水で割下水は次第に荒れ、関東大震災後の昭和5年には埋め立てられました。(写真) 【緑図書館:松島茂】
009年9月26日(土)~10月4日(日)に行なわれました。今年は参加型の新しい取り組み、金魚ねぶたのワークショップやストリートペインティングにこども達の明るい笑い声が響きました。
金魚ねぶたのワークショップ。青森県民会のぁのぁ会のみなさんにご協力頂きました
Tシャツアートフェスティバル。
優秀賞受賞者の皆さん
ストリートペインティング。道路に大きく広がった巨大キャンバスに思い思いにペイント。
錦糸中学校のバトン部の皆さんのバトンフラワー。
華麗な技とダンスでまつりに花を添えてくれました。
ハワイ・アロハ・アカデミーのハワイアンダンス。
踊りはもちろん、カラフルな衣装がハワイの空気を運んできてくれました。
町会ごとに特徴を出した街かど灯りアート展。
お気に入りは何丁目でしたか!?
『すみだ北斎美術館』の建設予定地である、緑町公園テニスコート跡地で行われている「埋蔵文化財の発掘調査」を見学。
この一帯は、江戸時代には、「弘前藩津軽家」の上屋敷があったとされている場所です。
現在、深さ約1.2m掘られた段階で、屋敷の西側端で、長屋があったと思われる辺りに土蔵跡もあり、東側には石組された下水・木樋の下水の跡、木樋の上水と井戸の跡、什器の保存等に使われたと思われる地下に埋められていた「穴蔵」の木枠などが発掘されています。
その他、焼塩壷、瀬戸物、多種類の貝類等、貝は今までの江戸遺跡では珍しい程多量に、巨大な竪穴から検出されたそうです。(食するだけでなく、地盤を固めるために、使われることが多いそうです。)ここからさらに地下3mまで発掘が続けられるとの事です。話として、聞いてはいましたが、現実に自分の目で、発掘の様子を見ると、今迄、特別に考えもしなかった、自分達が住んでいる、この亀沢の町の下に、江戸時代の人々の生活の証が、其のまま眠っていたんだ・・・・という事を実感し、今までとは違った愛着を、この地に感じました。
ここに建設される「すみだ北斎美術館」を訪れて下さる、外部の方々にも、北斎の作品を見ていただくと同時に、縁ある「弘前藩津軽屋敷」の事も知っていただけたらと思いました。
(文責 鈴木・田中)
高橋 祐 1960年墨田区亀沢生まれ
亀沢1丁目松喜2階が稽古場ですので、先ず松喜の門をたたいて一杯は? (文責 清水)